哲人あの日あの時
 
Vol.3 

先生と中耳炎

 天風先生は中耳炎で水がたまると難聴になられ、時々鼓膜穿刺で水をとられた。京都では耳鼻科医中令名高い当時京大助教授の浅井博士が担当をされるのが常だった。

穿刺には衝撃的な痛みがあるということで
「一瞬、天地がひっくりかえるようだよ」

とよくおっしゃっていた。しかし、浅井博士が、この時とばかり

「先生、痛いですよ、痛いですよ」
と、半ばおどかすように先生のご覚悟をうながすと
「どうぞおやりなさいよ、痛いのはこっち持ちなんだから」
と平然たるもの。

多くの患者に接し、臨床歴の豊富な浅井博士も呆れ顔で
「一度天風先生をギャフンといわせて見ようと思っているのだが、絶対に弱音をおはきならない」  
と いかにも残念そうな口ぶりだった。

 ところがある日、先生に急性中耳炎が起り名状し難い激痛が伴った。
さすがの浅井博士もこれにはほとんど手の施しようもなく、ただ
「絶対安静を守っていただかないと、医師として責任はもてませんよ」
と、きびしい注意を与えた。しかし、先生は事もなげに
「医師としての責任はそうだろうが、私にも責任がある。京都へは講演に来たのだからその講演を休んでいたのでは、私の務めが果せない」
と、おっしゃり、その日もとうとう演壇に立たれた。

 そのお話ぶりは、事情を知らぬ者が見ていて、平素と寸分変らぬ態度だったが、知っているものは終始ハラハラしていた。ちょっと大きな声を出されても、すぐ耳にこたえる筈なのである。
ご講演後、恐るおそる先生にお伺いすると
「身体のバランスを失なって体勢がフラフラとなったので、テーブルの両端につかまった。クンバハカは有難いものだね。すぐしゃきっとなった。ありがたいものだね」
と クンバハカをしきりと礼讃しておられるだけだった。
そして「痛かった」とは、ついに一言もおっしゃらなかったのである。


 胃袋の鼻血

 尾漏な話になるが、私は二十年来、大便に潜血が続いている。最初これに気付いた時、ある病院で厳重な検査を受けたが、その原因もつかめず、その後も毎日のように行ったがついに原因も出血場所もつかめなかった。しかし、体重にも変化がないので、そのままになっていたのだが、ある日そのことを天風先生に申し上げたところ  
「私もそんなことがあったが、いつの間にか癒ったよ。よく鼻血の出る体質の人があるが、別に身体に悪い所もなく、日常生活にも支障を来たさないものだ。ただ出血し易い体質というだけのものだ。つまり、君の胃袋はよく鼻血を出すのだよ」

と軽くあしらわれた。私もなるほどと思った。咄嵯に、巧みな表現で、相手の気持を積極的な方向に転換させられるのも天風先生のお得意のことであった。

 会員の片岡夫人を入院中に見舞われたときも似たような話がある。
夫人はその時はすでにかなり重態で、生命の不安にたえずさらされておられた時だけに夫人は、先生の破格なお見舞に恐縮し、旦つ喜んだのは当然だが、そのすぐ後

「先生 私のオーラーが見えますか」
と、彼女が最も気にしていることをお伺いした。病名も病状も先刻ご承知の先生のことでもあるし、といって、相手がいかに古い天風会員であるといっても、ズバリと本当のことのいえる雰囲気でもない。先生のお伴をした人も、この時ばかりは先生のご返事に固唾を飲んだ。と書けば数行にわたることだが、実は全く片岡さんの言葉が終るか終らないかの間髪をいれぬ先生のお答えは

「あゝ あゝ。元気を出すんだよ」

 その一言で 同夫人の顔にみるみる安堵の色がみなぎったのはいうまでもない。

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